クリストファー・ノーラン『インセプション』

DVDでクリストファー・ノーランインセプション』見る。『インターステラー』見るまではダークナイトシリーズしか見たことがなかった。すごい面白かった。
ノーランの時間のイメージとは、直線的、一直線上にある連続した時間ではなく、層状に積み重なった地質学的なイメージの時間であり、それが大変分かりやすく示されるので面白い。『インターステラー』でそうであったように現在と過去、あるいは『インセプション』の現実と夢、夢の中の夢、その夢の中の夢は一直線上にあるのではなく重層的に積み重なっている。上の層が破壊されれば同時に下の層も破壊される。つまり、現在と過去はつねに同時的にあり、現実と夢はつねに識別不可能の危機に晒されている。
重要なのは『インセプション』で層から層への移動が「落ちること(キック)」によってなされるということだ。その点で、『インターステラー』がそうであったように、『インセプション』もまた映画についての映画である。映画において、「落ちること」は「死ぬこと」である。それは映画がこの世界を映すものである以上、なにものも重力からは逃れ得ないということである。映画において、別の時間への移行、別の存在への生成変化には、つねに重力-死がつきまとう。重力から逃れられず、大地にとどまること。そこにはひとときのジャンプ、ダンス、ロマンスがあるだけ(?)である。『インセプション』においてそれはインセプション(植え付け)に関わるだろう。大地にとどまりつつも、実際に何か別のものに成るということがあるとすれば、ニーチェのように発狂という形でしかあり得ないかもしれない。
インターステラー』のマイケル・ケインの教授が取り組み、実は40年前に既に解決していたという「時間の謎」とは、『シネマ2』のことだったのではないか。それは、『シネマ2』に通底している、映画において「重力からは逃れられない」ということ。