杉咲花、学生から老後まで。
東ソー企業CM
ピカデリーでドゥニ・ヴィルヌーヴ『DUNE part2』。
マヤ・デレンの『午後の網目』のような闘技場のシーンが素晴らしい。
白黒の画面の中で、レア・セドゥの顔を昼間の強い光線で照らすこと。
それはオレンジ色の光で人物たちの顔を照らすこととどう関係するか。
Netflixで『TOKYO VICE』4話まで見る。
1話監督はマイケル・マン
ジョーク、あるいは皮肉が伝わったり伝わらなかったり。それは外国語のよう。
一貫しているのは、「皮肉を受け入れられるか、入れられないか。または皮肉を言われたら言い返すか」というのが、任侠の、あるいは新聞記者や刑事の、生き方の秘密に関係しているような感覚。
2話で終電を逃したジェイクが駆け込んだのは、恐らく都心の官公庁のあたり、丸ノ内線のどこか。
「明朝新聞」はその近くにあり、1話で飲み屋の2階にあることが明かされた彼の部屋は、新中野や東高円寺あたりなのではないかと期待される。
そうやって、地理的な距離感のイメージが形作られていくのはいい。
吉祥寺アップリンクでデヴィッド・フィンチャー「ザ・キラー」
このシリーズの醍醐味は、毎回作った料理を食べる際に、
彼女が何か思い切った食べ方をする瞬間。
第3話でそれは、パンを味噌汁につける瞬間だし、
このときもちろん秋風が吹き彼女の髪が揺れているのが良い。
何かを予期させる「宣言」のようなものがまずあり、
それがあっけなく実現・実行されてしまうことの感動。
この本質的ななにかは一体なんだろう。
月から落下するロケットが着水するのを待つ、静かな水平線の「待ちポジ」。
ここでは既に、映画では「待つ」ということが、本質的で、
何か凄まじい力をはらんだものだということが示されている。
やはりキム・ミニは映画を見る。
そしてその間、屋上でキム・ミニが映画を見終わるのを待ち、
小説家はタバコを吸い、男女は小説家がタバコを吸い終わるのを待つ。
ここに何か凄まじいことが起こっている。
映画を見終わったキム・ミニは、エレベーターで屋上に上がるが、
そこでどのような会話がなされたのか知るまで、
我々は永遠に待ち続けなければならない。
女の人が乗って来て前に立った。
ドレスが薄い黄色で 柔らかい布の素材
ボディラインがはっきりと 乳房と腰と
尻は見えないが尻 そしてすぐに腹があり
腹の起伏はどれだけ見ても見尽くすことはできず
唐突にフィクションが立ち上がり 夏の歌があり
映画の中でマギー・チャンが着ていそうと思った
目を閉じて 眠った演技をして 黄色をもう一度思い出し
人が服を選び 買い それを着て街へ出ることの喜びを悟った
新宿で人々が降り 女の人は隣に座った
うつらうつらして
窓に反射するドレスの形を 片目で時折追った
何もいらないし 何もあげられないが
このドレスで
ただどこかへ連れて行ってほしいと
笑い泣きながら眠った
荻窪で目を覚ますと もう誰もおらず
いつかスーパー銭湯の脱衣所で祖父が「GUは餓鬼の服」と言った