1月4日 渡された槍 ジェームズ・ガン『スーサイド・スクワッド2』

冒頭、上陸作戦へ向かう機内での隊員たちの会話はひたすら素晴らしく、

この映画の出発点を示している。

かつて会話とはこうであった。

想起するのは、たとえばルノワール浜辺の女』での男女の会話。

 

 男「ここで何を?」

 女「薪を集めているの。悪い?」

 男「やめた方がいい」

 女「なぜ?」

 男「その木は・・・」

 女「幽霊が怖いならなぜ救命着を?」

 男「幽霊って何のことです?」

 女「幽霊が怖いんでしょ」

 

かつて、地域から寄せ集められたクラスメイトとの中学校時代の会話。

親戚の伯父との会話・・・。それらをふと思い出す。

かつて会話とは、このように荒唐無稽で暴力で、ときに愛があったと。

つまり、全く異なる文脈にいる者、別の世界を見る者どうしが、

当事者たちはそのすれ違いに気づくことなく、会話が進んでいくこと。

このとき個々の語りはモノローグのようになり、音声になり、歌になる。

 

 ブラッドスポート「その槍は?」

 ハーレイクイン「答えを探してる」

 

登場人物たちは出発点において、互いに平行関係にあり、交わることはない。

そのとき、各々が誰かに受け渡そうとし、誰かから受け渡されたものは、どこへ行くのか?

ナイトクラブへ向かうバスの中で語られる、ラットキャッチャーの父との記憶。

あるいは、ハーレイクインが死んだ男から託されるあの意味のわからない槍。そこに映画がある。

 

 ハーレイクイン「これが答えだったのね」

 

やがて到来する、靴を履いて走り出すハーレイクインとともに並走する横移動のカメラは、

ただただ美しい。