冒頭、上陸作戦へ向かう機内での隊員たちの会話はひたすら素晴らしく、
この映画の出発点を示している。
かつて会話とはこうであった。
想起するのは、たとえばルノワール『浜辺の女』での男女の会話。
男「ここで何を?」
女「薪を集めているの。悪い?」
男「やめた方がいい」
女「なぜ?」
男「その木は・・・」
女「幽霊が怖いならなぜ救命着を?」
男「幽霊って何のことです?」
女「幽霊が怖いんでしょ」
かつて、地域から寄せ集められたクラスメイトとの中学校時代の会話。
親戚の伯父との会話・・・。それらをふと思い出す。
かつて会話とは、このように荒唐無稽で暴力で、ときに愛があったと。
つまり、全く異なる文脈にいる者、別の世界を見る者どうしが、
当事者たちはそのすれ違いに気づくことなく、会話が進んでいくこと。
このとき個々の語りはモノローグのようになり、音声になり、歌になる。
ブラッドスポート「その槍は?」
ハーレイクイン「答えを探してる」
登場人物たちは出発点において、互いに平行関係にあり、交わることはない。
そのとき、各々が誰かに受け渡そうとし、誰かから受け渡されたものは、どこへ行くのか?
ナイトクラブへ向かうバスの中で語られる、ラットキャッチャーの父との記憶。
あるいは、ハーレイクインが死んだ男から託されるあの意味のわからない槍。そこに映画がある。
ハーレイクイン「これが答えだったのね」
やがて到来する、靴を履いて走り出すハーレイクインとともに並走する横移動のカメラは、
ただただ美しい。