「サタンタンゴ」 タル・ベーラ

去年の秋に「ヴェルクマイスター・ハーモニー」(2000,白黒)と「倫敦から来た男」(2007,白黒)の2本を見て、アコーディオンの音にやられたのか、異常な長回しにやられたのか、よく覚えていないが、タル・ベーラという人に一目惚れしてしまった。もう一度見て好きと言えるかどうかは疑わしいが、とにかく当時は好きだった。

そして今日、京橋のフィルムセンターで開催されている「ぴあフィルムフェスティバル」でタル・ベーラの7時間半の超大作「サタンタンゴ」(1991-1993,白黒)がフィルム上映されるというので「これは行かないわけにはいかないぞ」と思い、朝早く起きて、12時から20時までの気が遠くなるような上映に立ち合ってきた。

7時間半という時間はバカみたいに終わりが見えない。終わりなど無いのでは?「サタンタンゴ」は、まさにそういう映画だった。

人々は「∞」の環の中をグルグルと回る。朝起きて、ご飯を食べて、仕事をして、ご飯を食べて、寝る。この繰り返しだ。これではもはや生きるために生きているようなものだ。朝が夜に繋がれ、夜が次の朝に繋がれる。オープニングは真っ暗な部屋に一筋の光が差し込むところから始まり、エンディングは光が差す窓を板で覆い、部屋を真っ暗にするところで終わる。振り出しに戻るのだ。
「∞」の環からの脱出を図り、夢にたどり着こうとした人々もまた、脱出にことごとく失敗し、虚ろな表情を見せる。「∞」からは抜け出せない。終わりなど無い。「タンゴ」のように。

「∞」の中をグルグル回る人々を僕らは何度も目撃する。「サタンタンゴ」では、視点を変えて同じシーンが2度示されることが何度もあった。(ガス・ヴァン・サント「エレファント」や黒沢清トウキョウソナタ」などでもやっていた)
孤独な医者と孤独な少女の出逢い(一番好きなシーンだ)も、医者と少女それぞれの視点から示される。家に引きこもりがちな孤独な医者は、酒を買いに行く途中、少女に出逢う。少女は何かを求めてきたが、うっとうしいので医者は彼女を突き飛ばす。少女は逃げる。
後に同じシーンが少女の視点から示される。両親も、兄も亡くし、孤独な少女。少女は1人で生きるのがもう限界で、最後に出逢った医者に救いを求める。しかし突き飛ばされてしまう。少女はネコイラズを飲んで自殺する。

「サタンタンゴ」には希望がない。孤独な医者と孤独な少女の出逢いは、唯一なんとかそこから希望を見出せそうで、なんとかして欲しかったが、タルはそれもダメにした。

「ヴェルクマイスター・ハーモニー」も「倫敦から来た男」にも希望はなかったと思う。「∞」に繰り返されるアコーディオンの音が響いていたのを覚えている。アコーディオンは一番好きな楽器の一つだ。

「俺の人生はタンゴだ!タンゴ・・・ タンゴ・・・」



台風や豪雨には全く気付かなかった。「うまい中華でも食いたいな」などと思いながら夜の銀座をブラブラと歩く。新橋のマクドナルドに入って、一昨日も、昨日も頬張った「オーロラチキン」を今日も頬張る。明日も頬張るだろう。
来年、タル・ベーラの新作「ニーチェの馬」が公開されるらしい。そしてこれがタル・ベーラ最後の作品だという。白黒の映像が突然カラーに変わるとか、そんなのでいいから希望を見せてほしい。タルに期待している。


「サタンタンゴ」はオーディトリウム渋谷で9月30日にオールナイト上映されるらしいです。

サタンタンゴ(字幕版)

サタンタンゴ(字幕版)

  • ヴィーグ・ミハーイ
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