鶴岡龍とマグネティックス『LUVRAW』

 こおろぎや鳥やロボットになることと恋愛は似ている。あるいは、養子になることと恋愛は似ている。それは、最高に幸福な気分であると同時に、最高に絶望的な気分でもあるという点において、似ている。
 朝、電車の中で鶴岡龍とマグネティックス『LUVRAW』を聞いていて、その容赦のなさというかのっぴきならなさに涙を止めることができなかった。別の生が可能かもしれないということ、なにか別の存在に成ることができるかもしれないということを示唆してくるほどに、そこには、ただただ絶え間ない強度がある。
 「自分の人生を生きる」ことも辛いが「別の存在になる」こともまた絶望的に辛い、とレオス・カラックスホーリーモータースのインタビューで語っていた。鶴岡龍とマグネティックスの『LUVRAW』はたとえば、初めての射精の記憶を思い起こさせる。それは習慣化された社会的なものではなく、バッタや犬や魚と同じラインに一列に並んで、横断的に、自分がバッタや犬でもあり得るかもしれないことを予感させる。凄まじい恋愛。それは幸福なことで恍惚であるけれど、死臭のする、絶望でもある。春である。