グルーヴとは何か?

 「鬼太郎で一番好きな回は?」と聞かれてまず答えるのはもちろんバックベアード軍団率いる西欧妖怪軍団と鬼太郎率いる日本妖怪軍団が戦をする回だけれども、じつはもうひとつ大好きな回があって、それは死んだ父親を蘇生させるために、小学生の女の子が鬼太郎と一緒にあの世に行って、閻魔大王の裁きを受けるために並んでいる死者たちの行列の中から、彼女の父親を見つけて連れ戻す回である。「一度あの世へ行くとこちらにはもう戻ってこれないかもしれない、それでもいいのか?」と鬼太郎から告げられた上で、女の子は父親を連れ戻すために「それでも構わない、あの世に行こう」という決断をするのだけれど、そこからの作品の歌い出す感じというか、強度が増す感じというか、女の子がそれまでと変わってキリッとして前を向くその瞬間は実にグルーヴィーである。もう死んだものをもう一度蘇生させようとすること、諦めたことをもう一度やりなおそうとすること、もういちど引き返すこと、それはすごくグルーヴィーである。
 「グルーヴとは何か?」ということについて、大谷能生が「ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く」のなかで、複数のものが1つになり、1つのものが複数になる状態を「グルーヴィー」、と言っている。「反復され、積み重ねられるサンプルの一つ一つを聴き分け、一つのビートから複数の過去を経験すること。あるいはそれまで無関係だと思っていた過去が突然のようにつなぎ合わされ、一つの現在となって鳴り響くこと。」
 フィクションや過去や死者に対するある種の関わり方は、グルーヴィーな状態を立ち上がらせる。『貞子vs伽倻子』の山本美月、『リアル』の綾瀬はるか、『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』のシャーリーズ・セロン、『インターステラー』のマシューマコノヒーなどなど。やり直すこと、引き返すこと、蘇生させることのイメージ。
 そして今夜の渋谷wwwでのVIDEOTAPEMUSICとceroのライブは最高にグルーヴィーだった。映画の中の女性が歌うのに合わせ、演奏すること。それは葬送の儀式のようであるが、同時に蘇生の儀式である。もう死んだ者を現在において生き返らせること。死者とのダンス。そして、それがいっそうグルーヴィーであるのは、必ずしも死んだ者が現在において生き返るとは限らず、逆に現在において演奏している彼らが死んだ者の側へ引っ張られてしまうかもしれないという、まさにハーフ&ハーフの命がけの緊迫した状態だからである。