3月27日 光陰的故事

渋谷、イメージフォーラムエドワード・ヤン他『光陰的故事』。
1話の『小龍頭』もかなりやばかったが、エドワード・ヤンが監督した2話の『指望』はど傑作だった。
この2つに共通しているのは、少年少女時代の官能的な体験である。もはや我々が法外な官能体験を味わうことができない一方、少年少女時代のそれは越境性を帯びていて一番危険である。
1話の『小龍頭』で少年は、上級生の「でかい女」と呼ばれるあの少女に、ほとんど「癖的に」好意を抱く。「癖的に」というのは、なんと言ったらよいか、少年時代、今振り返ってみるとまったく意味がわからないしそのほとんどは記憶の彼方に葬り去られていると思うが、たとえば何度か多部未華子のような異性を好きになったことが誰しもあったと思う。そしてゴリラと恐竜が出てくる少年のあの夢も「癖的」で、かなりやばい。
エドワード・ヤン2話『指望』の笑瓶似の少年のアフレコによる声は明らかに彼の声ではなく、彼よりずっと大人の声であるのがまず何よりもやばい。優れた映画監督の撮る子供は子供らしくないが、この笑瓶似の少年はフリークスのようだ。闇の中で彼のメガネが光り輝くショットから、重すぎてもう画面を直視できない。ど傑作である。