巨人の星

大澤真幸の「虚構の時代の果て」(ちくま新書)、「不可能性の時代」(岩波新書)を大分前に読んで、この2冊は「距離」について大きなヒントを与えてくれ、僕にとってはすごくためになった。
その大澤真幸著の「美はなぜ乱調にあるのか」(青土社)のスポーツ論―イチロー論、「巨人の星」の大リーグボール論―を今日、図書館で読んだのだが、これも大変面白かった。
巨人の星」は、小学生5,6年生の頃、レンタルヴィデオショップ「ニュータイプ」で毎週借りて見ていたのだけれど、飛雄馬がプロテストを受けるところ(オリンピック陸上選手の速水が登場する)までしか見ておらず、大リーグボールを僕は実は見たことがない。大リーグボールは1号〜3号まであって(あるらしく)、大澤真幸はそれについて、記号論的に、「表と裏」的に、語っていて、なるほどと頷かせられた。

最近、テレビ神奈川で夜7時だったか7時30分だったかに「巨人の星」が放送されていて、僕は夕飯のミルク煮に舌鼓を打ちながらそれを見ていたのだけれど、それはもう僕が未見のプロ編に入っていて、「伴宙太はどうなったのか」とか「なぜ花形がアキコと結婚しているのか」とか、さっぱり分からず、まったく入り込めなかった。
巨人の星」はプロ前までがいちばん面白い。プロ編を見たことがない僕は、勝手にそう主張する。少年編や高校編には、数々の名シーンがあり、それらの映像の多くを僕は今でもはっきりと覚えている。その中でも、僕がいつも一番最初に思い出し、最も印象深く覚えているのは、花形がバットをラケット代わりにしてテニスの試合をし、テニス選手にあっさり勝ってしまうシーンだ。これは僕も何度も真似をしたけれど、ボールのところまで移動して不安定な体勢でバットを振っても、逆に体が振り回されたし、たとえボールを打てたとしても、それはことごとく場外ホームランになってしまい、その度に改めて「やっぱり花形は天才だ」と痛感したものだ。
この花形のテニスのシーンは、「ゲゲゲの鬼太郎バックベアード編」、「けいおん!!20話」と並んで、アニメ史上に残る傑作だろう。