スイーツ・パラダイスについて

 今日友人の河合君とスイーツ・パラダイスに初めて行った。普通であれば男子禁制であるはずのところを特別に許可を出し、男子もごく少数入れてもらえている楽園に足を踏み入れるわけだから、高嶺の花を遠くから見つめることしか許されない虫のような男子中学生のように、きっと肩身の狭い思いで、残りもののスイーツを貪ることになるのだろうな、とパラダイスに到着する直前までずっと思っていた。パルコに吊るされた垂れ幕の「3Fスイーツ・パラダイス!生パスタもある!」の文字を見たときも、生パスタは成城石井などの高級スーパーにしか売っていないという事実を知っていたし、これまで乾燥パスタしか食べたことが無かったから、より一層パラダイスへの入場のハードルは高くなった。まるで風俗店にでも行くように緊張し、腰を最大限に低くして、白旗を振りながらパラダイスに足を踏み入れた。
 はじめに券売機があった。目をこすってここがラーメン二郎でないことを確かめてから、とりあえず白旗を捨てた。
 とはいうものの、ここでなにか大それたふるまいをしてやろうなどとは一切考えなかった。華やかな女性たちや巨大なチョコレート・ファウンテンを目にしたときには白旗を捨てたことを後悔さえした。
 だが間もなくして「勝った」と思った。それはまず生パスタが単なるうどんのようであること、フライド・ポテトで色々と誤魔化そうとしていること、単なるカレーやあんかけごはんがあること、チョコレート・ファウンテンのマシンがよく見ると端の方で単純な動きをしているだけだということ、食べ物の選択や盛り付けが明らかにおかしい男子中学生が群雄割拠していること、「屋築さま、承っております」など気配りの行き届いた声をかけるウェイターが人っ子ひとり見当たらないこと、食器のセルフ返却口があること、などから明らかになった。一見華やかで、かわいらしくて、上品なパラダイスの化けの皮はあっさりと剥がされ、その下に覆い隠されている貪欲さのようなものを垣間見た。高嶺の花を遠くから見つめるだけの男子中学生から一転、家出少女を家に泊めてやる成人男性のような支配的な心持ちで、グイングイン言わせながら食事をすることに成功した。
 パラダイスが実ははなまるうどんと何ら変わりがないという秘密が明らかになった。いや、はなまるうどんの方がまだ官能的な上品さを兼ね備えているかもしれない。はなまるうどんには、上方がすりガラスでシャットアウトされ、下方がぽっかりと空いた仕切りで仕切られた、前のお客と向かい合いながら食事をする席があるのだが、向い側で食事をするお客の顔上半分がモザイクのようになり、同時に顔下半分のうどんをすする口元などはしっかりと眺めながらお互いにうどんを食すことができるという、非常にフェティッシュなスペースがあるのだ。となると、はなまるうどんかスイーツ・パラダイスのどちらに軍配が上がるかは明らかだろう。
 
 正直に告白すれば、気品などこれっぽっちもない私は、楽園のフライド・ポテトやわらびもち、ソフトクリームやさまざまな果実に大そう舌鼓を打ち、酔いしれ、大変満足して「もう少しゆっくりしたいな」などと考えているときに制限時間が来て、楽園を追放されるかたちで帰路に就いた。また来ます。