「小さな逃亡者」 モーリス・エンゲル、ルース・オーキン、レイ・アシュレー

 水場で手に少し水を浸し、頬に塗りたくるあの顔の洗い方。そして、早朝の人っ子一人見当たらない浜辺を孤独に歩く姿。間違いなくトリュフォーがこの「小さな逃亡者」(1953)を見て「大人は判ってくれない」(1959)に繋がったのだという確信を得て、モーリス・エンゲル=ルース・オーキンというあまり耳にも目にもしなかった固有名詞の映画史上における重大さを知り、歴史や通説を揺るがしかねない発見を古層から掘り起こすことに成功した探検隊の一員のような興奮が冷めやらない。小学校の音楽室のようなアテネ・フランセの上映室に小学生のようなクソマジメさを持って足を運ぶことで、やはりいつも、ある種なにか別の真面目さから解放されるような、何らかの重要な収穫を得られる。
 アメリカ映画に限らず、スタジオシステム崩壊後のいわゆる「以後」の映画の主役は、競技場でプレイする「選手」ではなく、それを見る「観客」へと変化する。「以後」の映画は、「以前」の映画に対して「映画とは何か」という批評的な目を向け、映画の中に映画が在るような、メタ的な構造が生まれる。
 アメリカのスタジオシステムが崩壊しつつある50年代、ヌーヴェル・ヴァーグにも先立ち、1953年の「小さな逃亡者」は映画の中に映画を闖入させている。そして、それが素晴らしく感動的な、この映画の核となっている。
 ジョーイ少年の兄とその友人たちは共謀し、ジョーイ少年のぶっ放した玩具の銃によって死んだフリ(演技)をする。それを見たジョーイ少年は本当に殺してしまったと思い込み、逃亡するわけだが、まずこれは、ビクトル・エリセミツバチのささやき」のアナ少女が男を映画に登場するフランケンシュタインだと思い込むのと同様に、「映画内映画」や「映画=現実」という、映画を走らせるのにもってこいの原動力になってはいないか。
 そしてジョーイ少年が、6ドルを手に列車(=映画)に乗って逃亡する先であるコニーアイランドの遊園地も「映画」に溢れている。回転木馬やハンマー重量挙げ(?)、ホットドックヒッチコック「見知らぬ乗客」1951)、ゴーカート(ブレッソン少女ムシェット」1967)、(だいぶ形が違うが)回転式遊具(トリュフォー「大人は判ってくれない」1959)、パラシュート(ボリス・バルネット「騎手物語」(?)1940)・・・、そして混雑した浜辺はダグラス・サーク「悲しみは空のかなたに」(1959)をはじめとする色んな浜辺を思い出すし、終いには馬まで登場してジョーイ少年が何度も乗馬する(スピルバーグ「戦火の馬」の馬の名前もジョーイだった)。さらには、いいタイミングで雨まで降り出してくれる(成瀬巳喜男相米慎二・・・)。
 1953年以前だけでなく、未来の映画まで先取ってしまっているかのように、あらゆる「映画」に溢れたこの映画は、(ショットについてのあれこれはとりあえず置いといて)貴重で興奮さめやらない。


「小さな逃亡者」はアテネ・フランセ文化センターの「モーリス・エンゲル=ルース・オーキン特集」で16日(土)にもう一度上映されるようです。