「緑子/MIDORI-KO」 黒坂圭太

「そうだからそう」、「あるものはある」としか言えないような映像、そして音が次から次に押し寄せる、とんでもない映画にごく稀に出逢うことができる。ベルナルド・ベルトルッチの「暗殺の森」、ヴィターリー・カネフスキーの「動くな、死ね、甦れ!」、青山真治の「EUREKA」・・・ これらを前にしたとき、僕らは、坐っているイスに縛りつけられ、鋭い刃物を突き付けられ、恐怖から叫び声を上げたいけど上げられず、沈黙し続けるしかない。目の前の映像と音に対して「なぜ?」とか「どうして?」とかいった疑問を一切抱くことさえ許されず、僕らはそれをただただ受け入れ続けるしかない。足を組みかえることさえできなくなってしまう、そんなとんでもない映画。

今日、渋谷のアップリンクXで見たアニメーション「緑子/MIDORI-KO」も、ああほんとうに、とんでもない、とてつもない映画だった。
農学部の大学生ミドリが、町で「MIDORI-KO」をめぐって科学者たちと争奪戦を繰り広げる話・・・といってもわけがわからないだろうし、そもそもストーリーが重要なのではない。
始めのうちは笑っていられるが、笑っている場合ではないんじゃないかと段々思えてきて、終いにはとてつもない恐怖を感じてしまう映像、音。ソバをすする音が、廊下を走る音が、魚と戯れるアパートの住人が、「MIDORI-KO」を食らう人々が、ミドリが・・・わけがわからなくて、怖くて仕様がなくなる。「なぜ」とか「どうして」とか考えることさえできず、わけがわからない。しかし同時に、その「わけのわからなさ」は僕らのこの世界に存在してしまっていることに気付かされるので、どうしようもなく、底が見えない恐怖を感じてしまう。「不条理」という言葉を使えば陳腐に聞こえるかもしれないが、なるほどまさに「不条理」とはこのことなのだ。ミドリが最後に「なるほど!そうゆうことだったのか!」と、何か閃いたように叫び、何らかの行動をとるのだが、僕らにはミドリに何がわかったのかさっぱりわからない。わかるわけがないのだ。そして実際、なにひとつ解決していない。
かつて僕らは、ソバをすする音が、廊下を駆け抜ける音が・・・全てが、怖くて仕方がなかったのではないか。僕らはそれらにあらゆる意味づけをして、恐怖を克服して来たに違いない。しかし、「緑子/MIDORI-KO」はその恐怖を目覚めさせ、あるいは気付かせる。

とにかく見てほしいです(農学部の人は特に)。帰り道、足元が覚束なくなるし、渋谷が全く違う町に見える。
渋谷のアップリンクXで上映中です。


この後、オーディトリウム渋谷で(「サウダーヂ」を撮った)空族の「国道20号線」を見たのだが、また片桐さんがいた。