「宇宙戦争」 スティーブン・スピルバーグ

あまり「変態・・・、変態・・」と言うのも気が進まない。しかし他に思いつく言葉がない。

スピルバーグは変態であり続けることをためらっているのだろうか、「宇宙戦争」(2005)は「未知との遭遇」(1977)から明らかに変化をみせていた。

宇宙人が乗っている乗り物がカメラの三脚の形をしていることから分かるように、「宇宙戦争」も「宇宙人=映画」の映画であると言ってまず間違いないだろう。

未知との遭遇」で、人々と宇宙人はすごく友好的だった。が、「宇宙戦争」では、宇宙人は地球を侵略しようとするし、人々はそれに対抗して戦う。スチーブンは何を考えているのか。

映画は、変態が「見えてしまう」、「聞こえてしまう」ものを、「見えない」「聞こえない」人々にまで見せつけ、聞かせる装置であって、それはまさに変態行為だ。主人公レイ(トム・クルーズ)の娘(ダコタ・ファニング、すごく良かった)はそれを見せつけられ、聞かされ、ずっとキャーキャーと叫んでいた。
だから「見せること」、「聞かせること」は慎重に考える必要がある。
広く支持を得たスチーブンはそのことを強く噛みしめている。

そういうことだろうか、スチーブン