1月4日 正月、犬を連れた親戚

あっという間に正月が終わった。29日の夕方に帰り、3日の夕方に東京に戻るまで、毎日同じことを繰り返した。同じことを繰り返したので、一瞬で終わってしまった。
朝9時に起き、熱い風呂に入って朝ごはんを食べ、冬のソナタの再放送を見たりし、昼ごろ自転車や徒歩で出かける。ダイワの紀伊国屋ヴァージニア・ウルフ長新太のマンガなんかを立ち読み、本を買い、2階の喫茶店でコーヒーを飲みながら続きを読む。夕方、家に向かい、運河沿いから帰る。少しテレビを見てから、オードブルをつまみつつプレミアム・モルツを飲む。再びテレビを見て、23時ころ自分の部屋に行き、ワイファイでインターネットの動画を見、1時半ころ眠る。
元日の夜、近所の祖父母宅でほんの30分ほどだけ、親戚たちと集った。会うときはいつも現代的で富山ばなれした親戚のお姉さんが結婚をしており、1才の娘の母親になっていた。このお姉さんはあらゆる親戚の中でも恐らく一番美人でかわいいが、むかしから引きこもりがちな面があって、だから今、旦那さんも地味で優しそうな人で娘も最高にかわいい、この娘のためなら何だってやるというくらいかわいくて、幸せそうだったので感極まった。さらには、おじさんが連れてきた柴犬を家の中で放すので、かつて祖父母が生きていたころ、毎年必ず集って一緒に食事をしたこの家、あらゆる記憶が宿ったこの部屋で、かわいい柴犬と赤ん坊がからまり合い、それを生きている我々が囲んで見ている、それ以外にはただ微笑みと石油ストーブの火だけがあり、幸せを確認しあっているという図はチェーホフのようで、とにかくもう、だめだった。そしてお姉さんのだんなさんと、お姉さんの弟つまりお兄さんを見ていてそのとき確かに悟ったのは、「誠実さ」と「優しさ」があれば、お姉さんのような美しい人と結婚できるかもしれない、という希望だった。