ストリート・オブ・ノーリターン - 「ザ・マスター」 ポール・トーマス・アンダーソン

 太平洋戦争終結後、元水兵の主人公・クエル(ホアキン・フェニックス)が、洋服屋やキャベツ畑をあれよあれよと転がる石のように追われていくさまが、壮大な横移動や長回しによって描かれ、なにやらビガーザンライフな力学がはたらく、そのドン・キホーテ的なスケールの大きさにまず驚かされる。
 ホアキンの苦虫を噛み潰したような表情を常に絶やさないのは、そのビガーザンライフな力になんとか抗おうと努めているからであり、ホアキンが転がりたどり着いたあの船―ブレッソンの「白夜」に登場するボートにもどこか似ているあのなにかやばい、怪しげな光を放つ船―に乗り込み、「マスター」(フィリップ・シーモア・ホフマン)と出逢うことによって、マスターらと共に、ビガーザンライフの力とは逆ベクトルに遡行しようとするのである。
 「過去の過ちを犯した時点に戻り、そこからやり直すことができる」というマスターの教えを受けたホアキンとマスターの遡行は、結局あらゆる点で、やはりどうやらビガーザンライフに敗北したらしく、はなればなれになった2人が再会した際に、マスターが大声で歌う「中国行きのスロウボート」は、センチメンタルであるからこその良さがある。