「アナトール、工場へ行く」以来、「チーズ工場」という単語を聞いていなかったから、それに関わる知識は小学校低学年から1ミリも進歩していなくて、勤務指示メールの「チーズ工場」の文字を見たときは、タイムカプセルを掘った気がした。とうぜんチーズ工場というものは、19世紀のヨーロッパ風の建物で、機関車トーマスの駅長のような工場長がいて、ゆったりと流れる時間のなかで、チーズを味わい批評しながら「塩が足りない」とか「ミルクをもう少し」とかいった札を貼る作業をするのだと思っていたから、工場に着くやいなや、目以外は全て隠れる全身真っ白な作業着を着せられたとき出鼻をくじかれたと思って「おい、どうゆうことだ」と言ったが、声は自分の顔の中で何度か反響するだけで届かなかった。
 足のつま先から頭のてっぺんまで、穴という穴まで、ローラーやブラシ、空気圧で汚れを落とされ、アルコール消毒し、すでに身も心もすっかり犯されてしまいながら無菌室のチーズ加工現場に入った。指揮官の注意事項説明の中で「現場内では走らない。なぜならフォークリフトにぶつかってもとっさに受け身はとれないから」という箇所にわずかな救いを見出し、笑ったが、指揮官は表情一つ変えずに喋り続けていたので、どうやら何の冗談でもなかったらしい。
 ベルトコンベアの始まりに立って、分厚い板状の3種類のチーズを重ねてそれを機械の口に入れる。機械はチーズをミンチにする。機械に指をいれると指がミンチになる。フェレットほどのチーズの塊をひたすら機械に入れ続け、機械はそれはミンチにし続ける。
 悔しいのは、機械に入れるこのチーズが具体的な誰かに届くということが全く想像できないことだ。ミンチになったチーズが、ベルトコンベアのその先で、能年玲奈や、橋本愛や、小泉今日子に届いて、それを彼女たちがチーズパンにして美味しそうに食べている姿が全く想像できないということだ。ベルトコンベアの果てに、具体的な誰かを想定できるとすれば、それは唯一人、僕自身でしかない。ベルトコンベアの始まりに立ってチーズを機械に投入する僕がいて、機械がそれをミンチにし、機械から飛び出してくるチーズを、ベルトコンベアの果てにいる僕が大きく口を開けて欲しがっているイメージしか想定できないのだ。それが悔しくて仕方がない。チーズを8時間投入し続けて僕が立てた仮説は「ベルトコンベアの両端には、同一人物が立っていなければならない」ということで、それがもし真なら、悔しくて仕方がないのだ。