爆音映画祭 「サンダーボルト」 マイケル・チミノ 

 街に溢れる匿名的な人々の群れといったものならば、それはうまく背景として機能し、説話的文脈に大人しく納まってくれるのだが、それが「子供」とか「動物」の群れとなると、とたんに説話的持続を断ち切りかねない過剰なものとなる。それゆえ、それは映画の臨界点にあるような危険なものなのだが、寛大なユーモアの眼差しや態度を持ってすれば、うまいことその場をやりすごせるはずで、たとえばコメディ映画が、ある過剰さによって説話的持続を断ち切られることによって映画が終わることはたぶん無いだろう―「羊」の群れが道を塞いでいればクラクションを鳴らせばどいてくれ、車は先に進める。
 「ウサギ」の群れや、「子供」の群れ、「アイスクリーム配達用バイク」の群れなど、あらゆる過剰な「群れ」に遭遇し、説話の断絶という映画の臨界点の危機に直面しながらも、「サンダーボルト」の登場人物たち―イーストウッドジェフ・ブリッジスジョージ・ケネディ、ジェフリー・ルイス―は、その陽気や間抜けの寛大なユーモアによって、説話的持続を保ち続ける。とりわけ「ブロンコ・ビリー」でみごとな喜劇俳優だったジェフリー・ルイスが、同じように見せてくれる間抜け顔は、4人の旅の安泰な終わり―過剰さによる説話の断絶などでは決してないはずだ―を確信させる。
 ところがのっぴきならないことに、「パトカー」の群れの突如の闖入によって、狭いトランクの中にジョージ・ケネディと共に間抜けに隠れていたジェフリー・ルイスが銃弾を受けてあっさり死んでしまう。続いてジョージ・ケネディも死に、さらにジェフ・ブリッジスまでもが虫の息にされてしまう。これは冗談のようだが冗談じゃない。驚くべきことに、突如現れた過剰な「パトカー」の群れを彼らはうまくやり過ごすことができずに、説話的持続が断たれることで、「サンダーボルト」は終わってしまうのだ。
 
 上映前の説明で樋口氏が、「今回の上映フィルムは海外から取り寄せた古いプリント版で、状態が悪く、ノイズもひどく、特にラスト20分の巻は途中で上映が中断するかもしれない。けれどもノイズをうまいこと生かして音響調整をした」と語っていたが、ラスト20分、サンダーボルト(イーストウッド)の運転する助手席に座った、虫の息にあるライトフット(ジェフ・ブリッジス)が、一層激しくなるノイズの中、「音楽かけていいか?」と、まるで「ノイズ」の群れを避けようかとするように音楽をかけるのは、なんとか説話を保って、映画を終わらせまいとするようで、今回の上映はほんとうに素晴らしい上映だった。