「脳男」 瀧本智行

 土砂降りの中、血まみれの女を乗せて発車した通勤バスは一旦視界から消えるが、次のショットで松雪泰子を映すカメラがパンしたときに、手前にいる松雪泰子をなめながら遠くの方を走る姿がふたたび捉えられ、その瞬間炎をあげて爆発する。「濡れたアスファルト+バス」という、フィルムノワールを予感させてくれるこの冒頭には期待させられる。
 また、拘置所に捕えられた脳男・生田君は徹底した無表情、無感動っぷりを貫き、どうやら並はずれた身体能力と知能も兼ね備えた殺人マシンであるらしく、冒頭のバス爆破の犯人・二階堂ふみとその相棒(太田莉菜)を追い詰めるその活劇(アクション)の中心のモーターとなるだろうし、松雪泰子が勤務する病棟に張り巡らされたエアシューター(気送管)という魅力的な映画装置もまた、きっと後にこの活劇のサスペンスの緊張と弛緩に貢献しながらみごとに機能してくれることだろうと、期待はさらに高まる。 
 「脳男」は、感情を持たないかのように見える生田君が、ただひたすら殺人マシンとして、犯人・二階堂ふみとその相棒(太田莉菜)を追い詰めるという、その活劇のサスペンスだけに終始すればよかったのであり、また、たとえ感情を持ってしまったとしても、例えば「ドライヴ」のライアン・ゴズリングのようにマスクをかぶってまで感情を隠し通し、徹底して自ら活劇のモーターとして機能し続けようとする、そういった瞬間も待ち望んでいたのだ。
 しかし、映画中盤、生田君がいかにして脳男になったのかという、ほとんど僕らの興味を惹かないもうひとつのサスペンスが幅をきかせ、生田君の幼少期から今に至るまでの長々しい説明が、フラッシュバックによって語られる。それらのフラッシュバックのどのシーンやショットもほとんど、活劇のサスペンスにおいて後に炸裂することはないし、どうも収まりがつかない。
 そして主軸となるはずの活劇においては、エアシューターは結局サスペンスの緊張や弛緩に納得のいく機能を果たさないし、二階堂ふみはよしとして、爆死した部下の傍で「なんじゃこりゃ!」と叫びそうになるくらい松田優作たらん、自らが主役たらんとする江口洋介の禁欲さを欠いた演技は、その過剰さに何かを求めてはみるものの、結局発見はない。そして過去を赤裸々に暴かれた生田君はといえば、生身のままで自動車にいかにして勝利をおさめるかというラストの活劇において、これといった策も身体能力も発揮できないまま機能不全を起こすし、その後静かに姿を消したかと思えば何やらしたり顔で松雪泰子の前に再びひょっこり現れたりなどして、どうも苦虫を噛み潰したようだ。