青が欠けている ― 「ももドラ」 佐々木敦規

 『D'の純情』の間奏で、百田夏菜子の天才が生む永遠の時間とか、『ミライボウル』のラスト30秒で、高城れにの気違いじみた踊りが創り出す無限の空間とか、そういった僕らを宙吊りにしてしまうような瞬間―それこそ映画的瞬間というものだ―を僅かながら期待して、ワーナーマイカルシネマで一週間限定上映されている、テレ朝プロデュースの『ももドラ』を見に行ったのだけれど、至福の瞬間が訪れることはなかった。
 
 僅かな差異を創り出し、そこから既存のシステムに風穴を穿とうとするももいろクローバー(Z)。それに対して、そういった差異を覆い隠し、すべてをひとつの枠の中に収め込もうとするシステム。
 今回、百田夏菜子は自らの身体を、携帯電話を、小物を、部屋中を、自らの赤で武装し、システムのボスであるマクドナルドに蜂起を仕掛けたわけだが、残念ながらそれは失敗に終わっているようだった。映画館の椅子に腰かけた彼女が最後にみせる不本意そうな表情は、そのことを端的に表している。
 「ももドラ」には青が欠けている。青とは、クールさ―静寂、沈黙、冷静、停滞、持続、無・・・―である。そしてなにより、言うまでもないが、青とはもちろん早見あかりのことである。青とのコントラストによってこそ、その鮮やかさが真に引き立てられるはずの百田夏菜子の赤は、だから今回、マクドナルドの赤に抵抗するだけで精いっぱいだったのかもしれない。


「好きなミュージカル映画は?」
ももいろクローバーの『ミライボウル』だ。ラスト30秒でみんなが踊りだすんだ」
ジャッキー・チェンの映画でいちばん好きなのは?」
ももいろクローバーの『ピンキージョーンズ』だ」