1月29日

新宿武蔵野館塩田明彦『麻希のいる世界』。

女優ナナ』のようである。

舞台挨拶で、『さよならくちびる』に出演した2人に惹かれ、

当て書きで脚本を書いたと塩田監督が話す。

新谷ゆずみは何かを見つめる時の強い眼差しに、

日髙麻鈴は目の奥になにがあるのか判らず、吸い込まれそうになる目。

アテネ・フランセの講義で、

増村保造曽根崎心中』の梶芽衣子は一体なにを見つめているのか?」ということに

ついて、塩田明彦は「死だ」と語っている。

そして、「映画が歌い出す瞬間」はそこにある、と。

 

夜、六本木、「楳図かずお大美術展」を見る。

わたしは真悟』の続編『ZOKU-SHINGO』、

101枚の絵(コマ)を順に読み進めて行く。

それぞれの絵には上にタイトル、下に物語やセリフが、

手書きのグニャグニャの文字で書かれている。

絵から次の絵へ、1歩跨ぐその一歩一歩の間にぶっ壊れた跳躍がある。

東京タワーからの跳躍。「ウ〜ン」。

その跳躍が、しばしば人物やロボット、虫たちがなにかを感じ考え受け取った結果の、

「選択」としてあることに笑い、泣くしかない。

それによって次の絵では世界の激変、あるいは暴力的なずれが引き起こされている。

絵から絵へ、我々は激しく揺さぶられ続ける。

『退化』の右下、病床に伏す老人の苦悶の表情が頭にこびりついている。