『女優ナナ』のようである。
舞台挨拶で、『さよならくちびる』に出演した2人に惹かれ、
当て書きで脚本を書いたと塩田監督が話す。
新谷ゆずみは何かを見つめる時の強い眼差しに、
日髙麻鈴は目の奥になにがあるのか判らず、吸い込まれそうになる目。
アテネ・フランセの講義で、
「増村保造『曽根崎心中』の梶芽衣子は一体なにを見つめているのか?」ということに
ついて、塩田明彦は「死だ」と語っている。
そして、「映画が歌い出す瞬間」はそこにある、と。
夜、六本木、「楳図かずお大美術展」を見る。
101枚の絵(コマ)を順に読み進めて行く。
それぞれの絵には上にタイトル、下に物語やセリフが、
手書きのグニャグニャの文字で書かれている。
絵から次の絵へ、1歩跨ぐその一歩一歩の間にぶっ壊れた跳躍がある。
東京タワーからの跳躍。「ウ〜ン」。
その跳躍が、しばしば人物やロボット、虫たちがなにかを感じ考え受け取った結果の、
「選択」としてあることに笑い、泣くしかない。
それによって次の絵では世界の激変、あるいは暴力的なずれが引き起こされている。
絵から絵へ、我々は激しく揺さぶられ続ける。
『退化』の右下、病床に伏す老人の苦悶の表情が頭にこびりついている。