2月11日 トッド・ヘインズ『キャロル』

朝、恵比寿映像祭に行く。
昼、下北沢で中川君に会う。「茄子おやじ」で大盛カレー食う。
渋谷シネパレスでトッド・ヘインズ『キャロル』。
トッド・ヘインズという固有名を知ったのは、一年ほど前にこの『キャロル』の素晴らしい予告編を見たときがまったく初めてだったこともまた、『キャロル』に異質な肌触りを感じさせる個人的な要因だったろう。『キャロル』の異邦感とは、その質感が同時代の数多あるハリウッド映画というよりも、むしろ美術館のインスタレーション映像作品とかvimeoの映像とかにより近く、あるいは実際のニューヨークの異邦感に似ていると言っていいかもしれない。『キャロル』を見る喜びとは、だから、異邦感の中で必死に自らの言葉を取り戻そうとするときの喜びである。
「カラオケ映画」とでも呼ぶべき映画をここ数年まれに見かけるが、そんなものがあるとすればそれは、文字通りカラオケの映像のような映画のことで、曲が流れ続け、誰も歌い出さないが字幕が流れ続けるような映画のことである。たとえばレフンの『ドライブ』は「カラオケ映画」であった。それは実際、皆が寝沈まったカラオケボックスの異邦感に似ている(あるいはビジネスホテルの異邦感)。それはメランコリックである。
『キャロル』の異質な肌触りは、エスタブリッシングショットの圧倒的な欠如であり、無言の切り返しショットであり、それ以上だろう。『キャロル』の「わからなさ」に身を委ねることは最高に幸福な時間である。傑作。

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