夜、新宿、角川シネマで増村保造『最高殊勲夫人』見る。最高に面白い。
世界堂で水彩絵の具セットと筆を自分のクリスマスプレゼントに買って帰る。最近は夕飯が遅くなる場合はオリジンのほうれん草のごま和えかエビとブロッコリーの和え物で済ませ、その代わりに絵を描く時間を設けている。絵を描き始めてから、昼飯などは、できるだけうまいめしを食おうとするようになったし、めしもうまくなった。
12月10日
昼、下北沢、古書ビビビで古井由吉『槿』買う。
中川君に会う。「YOUNG」で二種盛りカレー大盛り食う。
渋谷へ。再び『この世界の片隅に』見ようとしたが満席で入れず。青山ブックセンターで『アメリカン・アヴァンガルド・ムーヴィー』、『監督 小津安二郎 増補決定版』とポパイのガールフレンド特集買う。ポパイは、汚れるか、美しく生きるかの2択を迫られたとき、どちらかといえば汚れている人間が、やっぱり汚れるよりは美しく生きたいと思って参考にすることができる雑誌だ。ある号で「シティボーイの条件」のひとつとして「ガールフレンドへの毎晩のコールを忘れない」と書いてあって、それを見たとき3度、音読した。どちらかといえば既に汚れている人間にとって、ポパイはいささか過剰で、無理がある。が、過剰であるからこそ、参考にすることができる。
マクドナルドでコーヒーを一杯飲んで、イメージフォーラムでユーリー・ノルシュテイン特集見る。
新宿、シネマカリテでケント・ジョーンズ『ヒッチコック/トリュフォー』見る。タワーレコードで坂本慎太郎とVIDEOTAPEMUSICの新しいレコード買って帰る。
片渕須直『この世界の片隅に』
夕方、ユーロスペースで片渕須直『この世界の片隅に』見る。
すず(のん)はいつだって現実に立ち遅れ、現在のリアリティを捕らえそこなう。だからこそ絵を描き続けるのだし、そもそも絵を通してしか、あるいは何らかの作品を通してしか、現実のリアルを把握することは不可能じゃないか。
たとえばすず(のん)は、防空壕で夫とキスをするとき「私はこの人とこんなことをしてしまっている」と考えるし、呉を初めて空襲が襲ったときも「絵の具があれば・・・こんなときに何てことを考えているんだろう」と。あるいは「ぼうっとしているうちにこんなことになってしまった」。
まさにこの「遅れ」の感覚、現実に対してわれわれはいつも立ち遅れてしまうということのリアリティゆえにまず、この映画は素晴らしい。
同時に、この「遅れ」という点は、のんの言動やふるまい、最近の事情などと、どうもいくらか重ね合わせずにはいられない。だから、手放しにのんを擁護したくなる映画である。がんばれのん!
9月11日
昼、新宿、中川君、河合君に会う。
カフェで豚のステーキ食う。
渋谷、TOEIでデヴィッド・エアー『スーサイド・スクワッド』見る。
王将でラーメン・チャーハン・餃子セット食う。