12月13日

昼、新宿。
紀伊国屋で時間つぶす。「野性時代」の表紙が能年玲奈の驚いた表情のアップで、よく見ると両眼の黒目に自転車の形の光が映っており、ドラクエの銀ピカのズボンと上着もそうだが、二重、三重の倒錯によって批判の目をうまくかいくぐりつつ、なんとか能年玲奈を性的対象に仕立てあげようという権力がこのところ感じられる。
アルタ前で中川君に会う。シネマートのエレベーターでタカノさんに会う。ホン・サンス『自由が丘で』見る。上映後、加瀬亮ホン・サンスの舞台挨拶。
「武蔵」でつけ麺大盛り食う。
東急ハンズで双眼鏡探すが見つからず。
埼京線有明まで行く。有明コロシアムで乃木坂のライブ。
前半は下痢と闘っておりほとんど記憶にない。「もし乃木坂のメンバーが下痢ならば私より逃れがたく絶望だろう」と考えることによって少し柔らいだが、結局途中、我慢できずに手洗いに立ち、糞で一曲つぶしてしまった。とはいえ、カラーボール投げながらワゴンで移動してきた生田絵梨花白石麻衣を5m先に見られただけで腹一杯である。それに生田絵梨花が雛壇に座っているとき、大勢の中でただ一人、気品高い姿勢でほとんど微動だにしないのを見て恍惚とした。『超能力研究部の3人』ではほとんど鳥居みゆきと柴田聡子を足したみたいだったが、いくつか秀逸な場面があって、そのひとつの音楽室でのインタビューのシーンは、これは『人生の幻影』の 一場面ではと錯覚し得るほどにうっとりするのだっだ。つまりは、生田絵梨花はただそこにいるだけで良質なメロドラマを語ってしまう。それはまるでダグラス・サークのようである。デュッセルドルフで生まれ数年過ごしたというだけでこの気品が備わるものなのか?メロドラマ、というのは恐らく顔が死んでいて眼だけが生きているからだろう。生田絵梨花は眼だけで語る。あるいはただ見るだけである。音楽室の場面でもその眼から涙を落としつつ表情は決して崩さなかった。顔のない眼。『ドライヴ』のライアン・ゴズリングは、正確に任務を遂行するマシンとなるためにマスクを被ってキャリー・マリガンへの感情を殺したのだった。
今日は楽しい一日だった。

https://www.youtube.com/watch?v=RByYkx0ykns