「あ、春」 相米慎二

東京フィルメックス相米慎二特集で「あ、春」と佐藤浩市トークショーを見た。

亡くなって病院のベッドに伏している笹一(山崎努)の服の中で、笹一が温めていた鶏のタマゴが孵っているという感動的なシーン。言葉にしてしまえば、失敗に終わること間違いないだろうと思われるこのシーンで、僕らを号泣させてしまうのだから、やっぱりすごいなあと大きく頷かされる。

証券会社に勤めるエリート・サラリーマンの紘(佐藤浩市)は、良家育ちの妻・瑞穂(斉藤由貴)とその母、息子の4人で暮らしている。ある時、死んだと聞かされていた父親・笹一(山崎努)が突然現れ、紘の家庭に住みつくようになる。
笹一は、紘の息子(つまり笹一の孫)にギャンブルを教えたり、紘が飼っている鶏を勝手に食べたり、瑞穂の母親の風呂を覗いたり、大胆で目立つ行動ばかり取る。一家は笹一が出ていくよう仕向けるが、一方で、笹一の登場によって家族は変わっていく。精神が不安定で複数の薬を服用している瑞穂は笹一がいるときは生き生きとしているし、紘の息子は笹一の「教育」によって成長する。

変態や不良が僕らの壁を崩してくれる。映画を見ることもそういった体験であって、笹一とはまさに映画だ。笹一は周囲の人間に「もっと自由でいい」ということを「教育」する。特に、笹一と孫の触れ合いは、最も感動的なシーンのひとつだ。大人、特に老人と若者の触れ合い。変態や不良の大人が若者を「教育」し、若者が成長するというのは、イーストウッドのいくつもの作品然り、実に感動的だ。笹一が孫にギャンブルを教えたり、ただ二人並んで焚き火を囲んで座っているだけで心揺さぶられるし、笹一が入院して家にいなくなったとき、4,5歳の孫がたった一人で鶏小屋のペンキ塗りをしているショットには、決して涙せずにはいられない。

紘と笹一は「実は紘は笹一の子ではない」と紘の母親から聞かされ、お互いまったくの他人であることが判明する。そして笹一は倒れて入院し、紘の会社は倒産する。
笹一がいくら「自由でいい」と言っても、実際生きことはそんなに甘くないのかもしれない。明日食べていけなくなるかもしれないそんな時に、笹一の入院費用を出すように頼む(良家育ちのお譲様)瑞穂に対して、紘は「お前はお金のありがたさを知らないからな」と告げる。生きるためにはまずお金が必要で、自由なことなどやっていられないのかもしれない。
そんなとき、病院からの電話で、笹一が危篤だと知らされる。急いで病院に駆けつけるが、笹一は既に亡くなっていた。しかし笹一の服の中では、温めていた卵が孵ってヒヨコが生まれていた。紘はそのヒヨコを大事に手の中に包み込む。

川沿いに生える沢山の菜の花を、川の流れに沿ってドリーでとらえたショット。まさに、小津安二郎の「麦秋」のラスト、麦畑をなめらかにとらえたドリーではないか(流れは逆だが)。「今がいちばんいいときかも知れないねぇ」と東山千栄子の言う「いちばんいいとき」は、会社が倒産した今、笹一が去った今、紘や瑞穂にとって、(「麦秋」の一家同様に)まさに失われていくときかも知れない。しかし、笹一の骨を撒くために乗っている舟の上で、「大丈夫。生きていける。わたし強いもん」と言う瑞穂の言葉は力強く、僕らにも、笹一がかつてホームレスになっても何の問題もなく生きていたように、生きていけると思わせてくれる。

上映後の佐藤浩市の話も素晴らしかった。隣の難しそうな紳士も「なるほど」と頷いていた。

東京フィルメックスまだまだやっています。