女坂

水道橋駅東口を出て、神田川と逆方向へと歩く。
僕の手書きの地図によれば、だいぶ歩いたところで左折するらしい。目印になる「東洋高等学校」がみつからない。
神保町交差点まで来てしまった。僕は以前も、手書きの地図を頼りにして確かここまで来た。そのときは結局たどり着けなかったのだけれど、今回はたっぷり時間があるのできっと大丈夫だ。さっさと見つけて場所を確認してから、ゆっくりとうまいものでも食おう。

結局、見つけるのに1時間かかってしまった。神田女学園の運動部のかけ声を聞いてうっとりとしたり、錦華公園にたむろする学生たちを見つめたり、東京デザイナー学院に少し入ってみたりしながら、入り組んだ路地をグルグルと何周もして、やっと見つけることができた。今日はろくに寝ていないので頭がズキズキするし、(携帯の万歩計によれば)2万歩も歩いたそうで、すごく疲れている。時間ギリギリだったので、楽しみにしていた夕飯を食う予定もオジャンだ。最悪のコンディションで「アテネ・フランセ文化センター」に入る。

上映室の簡単な椅子は座り心地が良いとはとても言えない。スクリーンの右脇にはグランドピアノが置いてある。床や壁、天井、黒いカーテンの雰囲気、部屋の匂いから、小・中学校の音楽室を思い出させる。

グル・ダットの「渇き」(1957)を見る。
タイトルバックと共にあのインドらしい音楽が流れる。「監督 グル・ダット」。インドらしい音楽は、カレーのCMや日本人が経営するカレー屋で流れている、パロディのようなあの「インドらしい音楽」ではなくて、間違いなく本当に本気で本場のインドの音楽なのだな、と思いながらスクリーンを見つめる。いつも同じ場所でチラシを配っている関内のカレー屋のあのインド人のことも思い出す。気の毒なので、必ず受け取ってしまう。一日にチラシを3枚もらったこともあったっけ。
原節子に似た女優が、オイルマッサージの男が、娼婦の少女が・・・本場のあのインドの音楽にあわせて踊りだす。大勢の学生が道いっぱいに広がって自転車をこぐ。主人公と原節子は2人乗りで自転車をこぐ・・・始まって数分からだ。僕らは徐々に、これまでの映画体験を、そして、「こうすべきだ」とか「ああせねば」とかいった、これまで身につけて来た常識を、一旦忘れなければならないということに気付き始める。いや、徐々にそれらを忘れさせられ、中学校の音楽室にまで連れ戻されるのだ。僕の頭痛も疲労も、もちろん、一瞬にして吹っ飛んでいった。そして、主人公が路地を唄いながら歩くときには、僕らはもう小学校の音楽室にいる。

「The end」。自分が一体どこにいるのか、誰なのか、分からなくなる。放心状態でアテネ・フランセを出る。
「女坂」に猫が3匹いた。唇で「ちゅう」と音をならすと逃げて行った。