「サウダーヂ」 富田克也

オーディトリウム渋谷の「サウダーヂ」先行上映に行ってきた。
先行上映ということで何台かカメラが来ていて、暗闇の中で観客の表情を撮ろうとしていた。僕は使えないような顔をしていた。


山梨の中心街。全国地方都市のあらゆる中心街がそうであるように、ここもシャッター通りと化し廃れてしまっている。
そこに土木建築業の土方たち、そして日系ブラジル人やタイ人をはじめとする多くの外国人労働者がいる。

妻の恵子がいながらタイ人ホステスのミャオと浮気をしている土方の精司。HIPHOPグループ「アーミービレッジ」の一員で、派遣の土方として働き始めた猛。同じく派遣されてきたタイ帰りだという保坂。猛のかつての恋人まひるHIPHOPグループ「スモールパーク」を率いる日系ブラジル人デニス・・・

皆それぞれの立場で、自分と立場を異にする人々の空虚さを主張している。
土方の精司や保坂は、額に汗することのない仕事に就く人々を「表面しか見えてない」と言う。猛はブラジル人デニスらのHIPHOPを否定するし、逆もまた然りだ。猛は、また、自分より上の世代を「理解できない」と言って批判する。地元のギャルたちは上京経験のあるまひるの粗探しをしようとする・・・
皆、自分の正当性を主張し、自分と立場を異にする人々を「表面しかない。中身がない。空洞だ」と言う。

しかし、精司の妻・恵子やその友人がいかにも怪しげな水の効果を信じて「デトックス効果が・・・」などとバカみたいに語るのと同じように、すべての人間の主張が空虚なものに見えてくる。それは、唯一自分と異なる者の立場を否定せず、「ラブ・アンド・ピース」を謳うまひるの主張もまた然りである。全ての立場の人間が、怪しげな水の口コミや、土木建設業界に広がる不況の噂などなど、そういった表面的なイメージに支配され、踊らされているように見える。
皆、「自分こそ中身を知っている、中身がある」と主張する。しかし、その主張のぶつかり合いは、結局、空虚なイメージどうしの戯れ合いに過ぎないのかもしれない。

一方で皆、自分の空虚さにも半ば気付いている。「サウダーヂ」とは、「郷愁、情景、憧れ。そして、追い求めても叶わぬもの」のことだという。GLAYも言っていたような気がするが「ここではない、どこかへ」という感覚。どこかに本当に本当のものがあるはずだという感覚。精司はそれをタイに求め、タイに行こうとする。日系ブラジル人たちはそれを日本に求めてやって来た(が、多くはそれを見つけられずにブラジルに帰っていく)。
彼らのように誰しも「サウダーヂ」を持っていると思う。僕は九州に行きたい。


「サウダーヂ」は10月22日から渋谷ユーロスペースで上映されるようです。