「ウィンチェスター銃'73」 アンソニー・マン

人生で7回ほどスターバックスに入ったことがある。店員さんに急かされて(いるような気がして)、メニューの一番上にあるコーヒーの名を言って、暇つぶしにたぶんそれを飲んだのだろうけれど、その匂いも、味も、名も、覚えていない。同じく暇つぶしのためにマクドナルドで何十回と飲んだことのあるコーヒーのイメージと、それらは代替可能だ。

富士山にも、立山にも登ったことがなく、牛岳と西穂高岳くらいしか登ったことがないのだから、僕は登山にはあまり惹かれないのかも知れない。けれども、頂上で飲んだあのUCCの紙コップのコーヒーの匂いや味やそのときの風景ははっきりと覚えていて(本当かぁ!?)、「山頂で飲むコーヒーはやっぱりいい」と思ったりする。

横浜市中央図書館でアンソニー・マン「ウィンチェスター銃'73」(1950)を見た。

騎兵隊の一団が荒野の中心でインディアンに囲まれ、緊迫した空気の中で、男(ジェームズ・スチュアート)は「コーヒーいれてくれるか?」と言う。騒ぎが落ち着いた後、女(シェリー・ウィンタース)は「コーヒーいれようか?」と皆に尋ねる。そして、男が銀のコップで飲むコーヒーは本当にうまそうだ。
「ウィンチェスター銃'73」の「コーヒー」は、「コーヒー」のうまさ、というより、うまさや匂いや雰囲気をすべて含めたコーヒーの良さを思い出させてくれる。コーヒーは良い。男の「コーヒーいれてくれるか?」や女の「コーヒーいれようか?」を聞くときに思い出すのは、スターバックスの店員の「カプチーノでございます」(?)ではなくて、山頂で叔母さんが言った「コーヒー飲まんけ?」であり、男が銀のコップで飲むコーヒーを見たときに思い出すのは、マクドナルドの気持ち悪いフタがついたコーヒーではなくて、山頂でのんだUCCの紙コップコーヒーだ。コーヒーは、そういえば、良いのだ。
「ウィンチェスター銃'73」のコーヒーや山頂で飲んだコーヒーは、代替不可能な、唯一性を帯びて、僕らを魅了してくる。
映画に映された生々しい「物質」を見たとき、聞いたとき、僕らは「〇〇は良いよね」というすごく単純だが、忘れてしまっていたことを思い出す。

余談だが、中学生のとき、給食で「えびととうふのうまに」にご飯を入れてグチャグチャにして食べている生徒がいた。それを見た友人のヤゴウ君が「もののけ姫のやつだ」と言っていて、見事な喩えだと思った。グチャグチャの「えびととうふのうまに」もうまそうで、「もののけ姫」でジコ坊とアシタカが食べるあの「おかゆ」のような良くわからない食べ物も、そういえば、うまそうだった。

「ウィンチェスター銃'73」の奥行きのある画には本当に興奮してしまう。手前の方で人が立っていると、奥の方の遠く離れた場所から馬車が、ゆっくりと、だんだん近づいてくる。ここが図書館であることを忘れて、「来るよ!来るよ!」と叫びたくなるくらいのものだ。
以前「パイレーツ・オブ・カリビアン」を噂の3Dで見たが、あきれてしまった。噂の3Dは奥行きを追求しているようなのだが、今日見た「ウィンチェスター銃'73」の方がよっぽど奥行きが感じられた。
そもそも、噂の3Dは何かが飛び出してくるのかと思っていたが、ほとんど何も飛び出してこない。幼少時に「ワンダーラボ」の3Dシアターを浴びるほど見て洗練された3D観を養った僕にとっては、怒りがこみ上げてくるほどのものだった。ジャック・スパロウはワンダーラボの3D「鬼太郎の幽霊電車」の鬼太郎さんに遠く及んでおらず、スクリーンの上で大人しくしていた。髪の毛針を反射的によけて、隣の坊やの頭にゴツンとしてしまうくらいのものでなければ、噂の3Dはやめた方がいいと思う。